会場人気第一位
<キャタピラーの轍硬くて春寒し>
ボコボコした土から、もうすぐ芽が生えてくる予感と、まだ寒いこの時期らしい空気感が感じられて気持ちの良い句だと思いました。家を取り壊した後の、整地のためのキャタピラーのイメージ。
衿沢世衣子[特選☆]
通り過ぎたブルドーザーか何かがすごく重たかったことはいつでもある当たり前のことだが、その轍にわざわざ触れてみたことで「春にしては寒い」という実感をより強く感じ、春にしては寒いからこそキャタピラーの轍もなおさら硬いのだ、とより深く感じ入った。この二つの事実がこの二つであるが故にお互いを強めあい特別なことのように感じさせている。
トオイダイスケ[特選☆]
キャタピラーと轍がかっこいい。北の国からっぽい。
あさのあさみ[特選☆]
重機を句材として取り上げたのものは時折見かけますが、その轍に着目したところに惹かれました。この轍、寒くて凍った(あるいは霜が降りて固まった)状態ではないと思います。凍って、溶けて、また凍って、溶けてを繰り返して、最終的に溶けて、春の日差しで乾いて、寒さで硬くなって・・・くらいの状態なのかな・・・と。だんだん暖かくなってきた時間経過と、まだまだ冷たさの残る地表面との対比が、一句の中に凝縮されて表されていると思いました。「キャタピラー」と、のばしているところもよいと思います。
工藤壱心[特選☆]
「キャタピラー」という語と春という季節の取り合わせに最も惹きつけられました。工事現場や工場などに季節を感じる句が好きだからかもしれません。でも、想像次第では異国の戦場なのか…?とも。「固さ」で轍の跡の鮮やかさや深さ、春浅い空気の乾燥までも感じさせることができるのですね。「…て~」の形も安易でない繋がりを感じます。
伊東由紀子[特選☆]
除雪車のキャタピラーの轍の事だと読みまして、あれは通った後の雪が踏み固められて春まで残るんですよね。雪が大方溶けた後もその轍跡がだけが残って、さる冬の足跡の様に見えてきました。
スミノブ ン[特選☆]
わだち、のかたさと、春が来てほしい待ち遠しい感じがぴたっとはまりました。
のそうれいこ[特選☆]
社会というか歴史的に?春にキャタピラの音ってしてる気がする。年中かもしれないけど。プラハの春のキャタピラとか、実際は夏でしょうけど言葉に引っ張られてイメージ春っぽい。映像の世紀的な。キャタピラの轍はいつだって硬く冷えている。春でも。なんだかいろいろ思ってしまった。その先に花よあれ。
よしのま[並選]
わたしはどうしてキャタピラーの轍の硬さを知っているんだろう?いつのことだかは思い出せないけど、確かにそれを見て、踏んで、凹凸を感じたことがあったはずです。この句に触れて、足の裏にその時の感覚が蘇りました。「春寒し」のクールさも、轍に似合ってると感じます。
黒木理津子[並選]
キャタピラ「ー」と伸ばしたところに名称への敬意が感じられて良い。この季節には実際によく見る光景で、土の硬さと寒さ、キャタピラーの力強さが正面からぶつかっている様子が飾り気なく気持ちいい。
るいべえ[並選]
会場人気第二位
<蝶結びほどけるように春の波>
春の海の緩やかな波が寄せている感じが、蝶結びをほどく滑らかさとよく響きあっていると思いました。波そのものが神様からのプレゼントのようにも思えます。
小澤十猪[特選☆]
かっこいい。「春の波」の前で切れて、「蝶結びはほどけるように結んだ結び方である」ということを強調したのかな、ととった。蝶結びは蝶の形でもあるけれど、ほどけやすい実用的な結び方でもあるのだ!ざざーん!(春の波だから優しめな音)
オオヤマクニコ[並選]
蝶結びは、靴ひもでも洋服のひもでも、ふと気づくとほどけていることが多いです。きつく結んだはずなのに、なぜか、知らないうちに。ほどけるときに音を立てることもなく、その瞬間に誰も気づいていないことも。ほどけても最初に一回結んだところはそのままで、ひもであることにも変わりはない。春の波のことでもあり、冬から春へと季節がうつりかわっていく、まだ冬が残っている春の感じが出ているように思います。
実山咲千花[並選]
「ほどく」ではなくて「ほどける」というところが素敵。紐じゃなくてリボンがいいなあ。光沢のあるやわらかなリボンがするりとほどけていくような、そんな静かな春の海のうねり。。。静謐な明るさが漂う句。
山岸清太郎[並選]
雪解け水が少しずつ川に流れ出して、水量がだんだんと増えていく様子を、蝶結びががほどけると詠んだ点に惹かれました。
桂[並選]
蝶結びが波打つようにほどけるさまは、コンピュータ・グラフィックス的な映像を想像した方がいいのかなと思いました。すなおにきれいです。
鴻巣友季子[並選]
なんて的確な表現!海にりぼんを浮かべたら本当に蝶結びに結ばれたりほどけたりするような気さえします。
裏表[並選]
迷いましたが、良さが長持ちしそうな気がしました。上着も要らず、気軽ふと立ち寄った砂浜にスニーカーという光景が浮かび、とても春っぽくて好きです。
前菜の耐えられない辛さ[並選]
会場人気第三位
<たてよこに骨ふくらんで春の風呂>
まだまだ寒い日常から浴槽に身を沈めた時の、あの感覚を骨が膨らむ(それも縦横に!)と表現したところが「ぴったりだ!」と思いました。極寒の冬ならもっとピリッとした肌感覚であろうと思い、骨が膨らむことで春を感じさせてくれました。
中川さやか[特選☆]
お風呂に入ってはぁーっと一息つくときの開放感。その酔ったような気分はたてよこにだとか骨がふくらむだとか、大変アバウトな把握で言われているのでむしろ良く感じが出ているのでは。春の、とつけて無理やり入浴に季節感を持たせてしまうのも大雑把で、全体がぼんやりと、気持ち良いのではないでしょうか。
田中惣一郎[特選☆]
骨がふくらむというのがおもしろい。「春の風呂」によって、今まで寒かったのが温かくなってきた感じや、春ののどかさを感じた。実際には骨はふくらんでいないのだろうが、春らしい開放感、身体感覚があると思う。
穐山やよい[特選☆]
湯の中に自分が広がっていくときの感じが、単に不定形になるのではなくて風呂の四角さを意識しつつなのが面白い。は行の繰り返しのフワフワ感も良いです。
徳山雅記[特選☆]
寒い間には、体の中まで縮こまって固まっていたことでしょう。それが、春!ましてやお風呂!骨まで、のびやかに広がっていくような身体感覚を表現したすばらしさがありました。「ふくらんで」が「たてよこ」であるということ。そして、ひらがなを使った春らしい柔らかさもすごい。
やまぐちゆみ[特選☆]
春の湯船における、この豊かな心身。我が骨の満喫でしたか、あはは。
佐藤文香[並選]
お風呂につかった時に思わず「んー」とか「はぁー」とか気持ちの良さを示す声をもらす時、なるほど、からだの中では「たてよこに骨ふくらんで」いるのだなあと深く納得できました。座布団100枚くらい進呈したいくらい巧い句だと思います。
豊崎由美[並選]
疲れきったOLが、めっちゃ高い入浴剤を入れて命の洗濯をしている情景が浮かんだ。風呂の喜びに溢れたいい句。骨が「たてよこに」「ふくらむ」という言語感覚がすごい。お肌じゃなくて骨とは。変わった女だな…。
山内マリコ[並選]
<カッター折っても折っても錆びてチューリップ>
危険なはずなのにチャチなカッター、刃物のきらめきがすぐ茶色におかされてしまう。その折りとられた刃の数々が、テーブルに散らばる。ああ、また錆びた。それを苦しむ眼が捉えたのは、ぬんと首が伸びて色色の花びらを眼前に持ってくるチューリップ。なるほど、春は酸素か。
佐藤文香[特選☆]
カッターを使おうと思ったら刃が錆びている。刃を折ってみたら次の刃も、また折ったらその次の刃も。そこでふと視界に入ってきたチューリップ。カッターの刃を折ることに集中するあまり見えていなかったものが、そのピークで何の脈絡もなく突然見えた、ように思えるところがおもしろいと思いました。今必要なのは錆びていない刃なのに、錆びていないけど刃ではないチューリップ。錆びていない刃にたどり着いて折るのをやめて、ようやくまわりに目を向ける余裕ができてチューリップに気づいた、ということはありそうですが、そうではないところがよいと思います。
実山咲千花[特選☆]
ぱきぱき折る音が聞こえそうな。きっとキラキラ光を跳ね返すような。そんな新しさのある刃なのに、チューリップには勝てない。なーんか、勝てない。あの、開き切ったチューリップを思い出すと勝てる気がしない。そんな春の勢いを感じる。カッターには斬り刻む術があるのに、老若男女ご存知のチューリップの持つ強烈な春らしさに、枯れてしまうのはカッターの方。なんだか痛快に感じた。
よしのま[特選☆]
カッターの刃が、折っても折っても錆びていくこと自体は、珍しくも何ともないのに、チューリップごしだと、急にやるせなさが増す。折っても折っても錆びるカッターを、また折るときもこのひとはきっと独りで、それを、誰もが知っているであろう花の代名詞みたいなチューリップと対比させているのが、妙に残酷でいいなと思った。
兄妹[並選]
久しぶりに道具箱から出したカッターが、随分錆びて入るけど、軒先から見えるチューリップが暖かい昼の日差しに照らされている、そんなのんびりした雰囲気が良かったです。
衿沢世衣子[並選]
この言い方だと、折った瞬間に錆びて、また折ったら錆びて、みたいに聞こえて悪夢めいている。チューリップって咲ききるとべろんと花弁が広がる禍々しい花だから、そのかんじとあいまって、ぜつみょうな不穏具合で好きです。
与儀明子[並選]
錆びたカッターの刃の殺伐さというか、終末感ってはんぱない。研ぎ直せないし折るしかないし、しかも折っても折っても錆びてる。やるせない。窓の外には、明るいチューリップ、という取り合わせの妙かな。でも、じつはチューリップは怖いです。
鴻巣友季子[並選]
カッターが良く切れるようにするため刃を何度折っても、結局は錆びてしまう、この徒労。そして唐突なチューリップ。何だかようわかりませんが反リアル的な危ういバランスで句が立っているような気が。カタカナの固有名詞カッターではじまりチューリップで終わるへんな形。たとえばシンプルな万華鏡のような。
田中惣一郎[並選]
<海の本ならべて書棚うららかや>
海にまつわる本の背が並ぶのか、それとも例えば杉本博司の作品集などが表紙を見せてディスプレイされているのか。どちらにせようららかな海は主体の心の中にしか存在しません。並べることで主体はそれぞれの本が育ててきた海を心の中に引き受け、開放し、唯一無二の大海にするのです。海の本を自分の書棚に所有して充足する主体の営みはあえかにすぎるでしょう。「うららか」という言葉も「ひねもすのたり」の向こうを張れそうにありません。しかしそのささやかさがまた春らしく、何より自他に誠実です。題を想像するに、作者はこの名句に対峙することを迫られたでしょうが、現代人として、実に誠実なリアクションをしていると思います。
おかもとひかり[特選☆]
書店のように表紙を「面出し」してるのではなくて、自宅の本棚の「このあたりは海の本のコーナー」という感じで並べている、として読みました。春になって本棚の模様替えをしたくなって、「そうだ、海の本だけ並べてみよう」なんて感じで。もちろん「うららか」だから、「白鯨」とか「エンデュアランス号漂流記」みたいな過酷なのじゃなくて、「ツバメ号」みたいなさわやか系で。背表紙のタイトルの並びを見ているだけで、明るい海が目の前に。。。十七音の並びが「うららかや書棚に並ぶ海の本」ではなくあえてこうしたのも、なんだか波のようなうねりのあるリズムを感じさせて素敵。
山岸清太郎[特選☆]
最後の一冊を並べた途端に本棚全体が水中にあるかのようにゆらゆらと揺らめき出すという風景が、瞬時に浮かびました。それはとても心地の良い揺らぎ方でした。
両生類[特選☆]
並べられているのはあくまで本なのですが、句を通して思い描く光景には春の海辺が重なって感じられて面白いと思いました。句の主体が海に思いを馳せながら、並べた本に満足しているようです。
関青院庚[特選☆]
海の本の表紙にはきっと青が使われ、白波や砂浜の写真もあるだろう。それらを並べることによって、おおいなる海の風景が広がり、その世界に揺蕩うことができるだろう。偶然生まれた書棚の「うららか」なひとときのなんと贅沢なことか。
comaiscoming[特選☆]
<ボックスシーツのゴムびよんびよん春嵐>
読んだ瞬間、絵が思い浮かびました。庭先に干されたシーツが、フラット式じゃなくてボックス式だから、春の強い風にあおられて、四隅のゴムが「びよんびよん」音を立てるくらい立体的にぼわーってふくれあがる。その絵に、とても幸せな気持ちをもらいました。東京マッハ史上でも三本の指に入るくらい、大大大好きな句です。
豊崎由美[特選☆]
翻るシーツが目に浮かぶようで、春のほこりっぽい風を感じる句だと思いました。ボックスシーツのゴムって本当に「びよんびよん」っていう感じに伸びますし、そこをとらえているのがいいと思います。
そらまめ★[特選☆]
ゴムのびよんびよんが春嵐の音のようで面白い。春がやってくる楽しさを感じる。
あれもこれも[特選☆]
春の、見かけのゆるやかさに包まれた暴力的な部分を、あくまで愉快に捉えていて、よいと思いました。海みたいなベッドの水面下は私たちが身じろぎすれば「ゴムびよんびよん」の状態、ゴムはのびきっているわけでもパリッと収縮しているわけでもなくて、動きが予感され続けている状態になるわけです。絶え間なく大きなちからがうごめいている季節である春の、窓越しの嵐と、ごく身近に起きている「ゴムびよんびよん」という室内のちいさな事件とが隣り合って存在している様を発見した素晴らしい一句だと感じます。
善積元[特選☆]
春先の暖かさを運ぶとはいえ、ハンパない強さの嵐の中、シーツの、のびきったであろうゴムが、嵐に翻弄されている様が、目に浮かぶ。嵐の中でも、このゴムのようでありたいと思える最高の作品です。
三井芳子[特選☆]
さてはこいつ、冬中ずっとシーツを洗濯してなかったな。思い立って洗濯してみたものの、干す段階で外が嵐なことに気づいた独身男(趣味ゲーム)といった感じ。「びよんびよん」から、ゴムの劣化具合がありありと浮かんだ。
山内マリコ[並選]
あのびよんびよんのくだらなさが、春の嵐との配合で、なんとなく嬉しく安心に。
佐藤文香[並選]
<書き方の手本を前や春光>
さぁやるぞ、とキリッとした表情は一人前、でも実はまだお手本が必要な段階である、というところがかわいく、あかるい春の光に似合う。いやいや、これからですから。大物になりますよわたしは!いやーでもちょっと今日これあったかいな眠くなってきたな…。直接的な言葉や思わせぶりな表現がないのに、とても景がふくらむ句だと思ったので選。
マシュー[特選☆]
小学生のはじめての授業風景が浮かびました。児童が真剣にお手本を見て一生懸命真似ているところに、教室の窓から柔らかな光が差し込んでいる様子が、とてもあたたかくていい句だなと思いました。全体的に明るくてまっすぐな印象の句なので、新一年生っぽさが出ていて好きです。
えま[特選☆]
何かをスタートさせる春という季節の持つウキウキした感じを、具体的に描いて、あたたかな陽光の下に置いた組み合わせが良いと思いました。
はまのなまけ[並選]
<国語辞書より小さく古語辞典春日>
窓際に置かれた本棚に柔らかい光が当たっている情景が思いうかびました。なぜかクリーム色のカーテンも。
うみぱん[特選☆]
国語辞書はいろいろな人が見るので、老眼でも見やすく字が大きめだけど、古語辞典は受験生しか使わないので、字が細かかったのを思い出して。
高坂敦寛[特選☆]
<啓蟄に遺書の構想練り泣きそう>
遺書というものについて、他人の書いたものを厳かに発表されることはイメージできても、自分が書く立場になるのは想像したこともなかった。文章ではそっけなく事務的な内容しか書かなかった人も、実は目頭を押さえながら書いていたのかもしれない。啓蟄の立ち昇るような生命力と遺書という人間特有の文化の対比がうまく働いている。
るいべえ[特選☆]
作者の肝っ玉の小ささが際立った一句。その遺書を一緒に書いてあげたくなった。縁側で、作者の肩をそっと抱きながら…。啓蟄(生が溢れてる)と死の匂いの対比も見事なり!
山内マリコ[特選☆]
泣きそうとは泣いてない。そこに悲喜劇があって面白かった。
石津文子[特選☆]
うちの先々代の犬が啓蟄に死にました。春先はよく死にます。人も動物も。新しい命が芽生える時期に死を想うことの寂寥感と「構想を練る」というどこか他人事な感じ、「泣く」のではなく「泣きそう」というところに、やはりこの人は春に生きるつもりだなと力強く感じるのでした。
坂田耳子[特選☆]
風の匂いに春を感じる時期、芽吹きのスピードについていけないことがあります。生き生きとしてる風景に取り残されるような気持ちです。まさに遺書にピッタリのシーズンだと思いました。
天の川あずさ[特選☆]
「死ぬ気で頑張れ!」とマッチョな応援はあるけど、遺書こそ死ぬ気で無いと書けないものだ。地面から出てくる生物と残される親族が重なって感極まってるのが伝わる。
スミノブン[並選]
冬眠していた虫が穴を出る啓蟄の日、作者は自分の死後に思いを馳せて遺書の構想を練っている。輪廻転生を連想して、泣きそうな気持ちに共感した。
杉田正浩[並選]
辞典のカタイイメージが、漢字を多く使うことで「らしさ」になっている。いつも机のうえにある辞典がすこし日常でなくなって、まじまじ観察できてしまうのは、春の日だからだと思う。
やまぐちゆみ[並選]
<やどかりをじつと見つむる美大生>
そのうち美大生がやどかりになってきそうです。ムサビよりかはタマビかな。普通科の大学生はこんなことできません。
クロイワじゃぱん[特選☆]
この人ちょっと涙目かな、なんかちょっと切ないかな。
わらび一斗[特選☆]
やどかりは体を出していても、貝の中に身を閉じていても、不思議な納まり感がある。やどかりをじっと見るのだから海なんでしょう、今は観察にいい頃合い。美大生の追求は深まる。
武井裕弘[特選☆]
やどかりって、見れば見るほど、ヘンな生き物ですよね。やどかりを見つめている美大生も、大きなやどかりのよう。
秋月祐一[並選]
ふと手にしたヤドカリに自然の美を見出し、美の真理を思っているのか。初々しい美大生への愛情を感じる句。
川辺右京[並選]
<紀伊國屋書店は春の海に浮く>
忘れていた東京の異形感を思い出させてくれた句。18ではじめて新宿南口に立ったとき、なんだこのでっかい建物群はと見上げたのを思い出しました。東京マッハ選書フェアを見ようと新宿に行って、18年前の気持ちになって見上げました。そういえば、高島屋から紀伊国屋へ向かう通路は桟橋に似てる。それなら新宿駅のホームは海に沈むんだな、とか、いろいろ想像しながら歩いて楽しかったです。「紀伊国屋書店は」も「春の海に浮く」も、どちらもふつうの言葉なのに、連なると詩性が生まれるところも好きです。
与儀明子[特選☆]
新宿の景色は高いところからみるとビルがぬめぬめと光って春の海のようだという実感があります。いつもの紀伊国屋書店が大きな客船になったようで愉快でした。
裏表[特選☆]
この選句用紙をもらいに紀伊國屋書店新宿南店に行った夜、雨が降っていた。JR新宿駅から高島屋を通り過ぎて書店までの連絡通路を渡ると降る雨が自分の足より下に落ちていき、見えなくなり、自分が宙を歩いていることを実感した矢先に見た句がこれだった。紀伊國屋書店新宿南店の離島感と穏やかな凛々しさ、頼もしさがよく出ている。
ヒロコーヒー[特選☆]
「紀伊国屋書店」の8音を自然に十七音に織り込んだところをまず褒めたい。そして、春の海に浮かぶ本屋さん。。。なんとも幻想的。シュペルヴィエルの沖の少女がかよってきそう。
山岸清太郎[並選]
<この紙の裏面に菜の花の絵が>
チラシかなにかの白紙の面に、おつかいのリストだか、お金の計算だか、だれかへの伝言だか、原稿のメモだか書いて、気づいたら表側の菜の花の絵が透けて見えてた、みたいなことかなと。あるいは、書こうとしたら、なのか。日常のなにげないパランプセスト(重ね書き)のひとコマを、エビファニックに截りとっています、とかいうと、なんかつまんないけど。
鴻巣友季子[特選☆]
紙上の印刷物がこちらに直に働きかけてくるようで、思わず紙の裏面を見たくなりました。子どもが絵本の食べ物の絵に実際に手を伸ばしてしまうような、不思議な感覚を味わいました。また描かれている菜の花の絵を想像して、ほのぼのした気分になりました。
あやちゃん[特選☆]
裏面の絵って意外と気になるよね、って思って。
綾門優季[特選☆]
選句している参加者の姿を想像してつくっているところがうまいと思いました。
ホリトモエ[並選]
ミステリアスにも取れるし、もしかしたら菜の花油の宣伝チラシかもしれない。これからの想像がふくらむ、予告のような面白い句だと思いました。
衿沢世衣子[並選]
<春兆す柴田元幸つまみぐい>
すごく悩んだけどどうしても語呂が良すぎて選ばざるを得なかった!!おもしろいからね…春兆してきたら外で読みたいね……。
マシュー[並選]
春+柴田元幸+つまみぐい、どれ一つ他の言葉に動かせない句と感じました。「つまみぐい」…って失礼な気もするんですが、そこに、何ともいえない贅沢感を感じます。
伊東由紀子[並選]
<うぐひす餅提げれば漢と書いてをとこ>
何だよ。すごい句だな。よく分からないけど。うぐいす餅が微妙で。なんかバミューダはいたガニ股の男が目に浮かんだ。
矢崎二酔[並選]
ずいぶんスマートというか、軟派ですらある「漢」を見せてくれた。甘党なのかもしれない。鶯餅は秀吉が気に入ってそう名付けたらしいからむしろ本意に近い句か。
トオイダイスケ[並選]
うぐいす餅を持ってるだけでどんだけやねん!っていうツッコミ待ちなんだろうけど、そういうの好きです。うぐいす餅で『漢』ってだけでも大袈裟なのに、一句の中で『を』にまでこだわるそのしつこさ、どんだけやねん!
miztaki[並選]
<鳥帰る風切羽をしろがねに>
端正な美しい句だと思いました。長い旅に向けて飛び立つ鳥を見上げると、その風切羽が一瞬銀色に輝く。類想はあるかも知れませんが、力強さと清々しさ、調べの美しさで特選に頂きました。
中町とおと[特選☆]
翼をバッチリと磨きあげたのか、準備をキッチリ整えて北国に帰っていく渡り鳥の凛々しい姿が目に浮かびました。
山田裕介[特選☆]
前々から『エルム街の悪夢』のフレディが、刃物と化している指をパッと開くさまが何かに似ていると思っていたんですが、この句を読んで、鳥が羽を大きく開いた状態(たいていの鳥は羽の内側が白い)に似ているのだとわかりました。「風切羽をしろがねに」、まさに!
豊崎由美[並選]
「風切羽をしろがねに」の響きが美しくて、声に出して言いたくなる。「か」の音の繰り返しのせいか、全体にとてもさわやかな印象がある。どこまでも空が広がる景色が目に浮かぶ。
riara6[並選]
鳥の飛び去る姿そのままに潔い句だと思い選びました。白い羽が陽を受けて、青空の銀の一閃となる、その残像が見えるようです。
多緒多緒[並選]